43. 普通人には実践困難な理由

ラマナ・マハルシの方法論が実践困難な理由。

その説明にはまず、一般人の生き方といいますか、 人生の楽しみ方から考える必要があります。

日常には何らかの楽しみが必要ですね。

本を読んだり、テレビを見たり、会話したり。

そんな楽しみには、心の動きが重要な要素になっています。

感動したり、喜んだり、うさを晴らしたりは全部心の 動きをともなった楽しみ方です。

心の関わらない楽しみがこの世にあるでしょうか。

おそらく存在しないでしょう。

心の全く動かない活動は、仕事や義務以外は 継続困難です。

心を満たすこと、それが普通人の人生の 目的と言ってもいいかもしれません。

しかし、ラマナ・マハルシの方法論は、そんな生き方を 否定すると言っても良いものです。

心の動きや、感覚的なものを「想念」と表現している のですが、そんなものに目を向けないことが彼の方法論なのです。

他のあらゆる欲求よりも、真我探求(悟りへの道)を熱く求める 精神が必要となります。

もはやマンガや小説を読んで楽しむことはあなたの目的を 遠ざける存在になってしまったのです。

そんな生活を続けられるでしょうか。

続けられないのが普通ではないでしょうか。

ただ、真我探求の始めの段階にあっては、まず毎日一定時間の

「私は誰なのかの探求」「どんな対象物にも意識を向けない訓練」

をするべきだと語っています。

その取り組みが、湧き上がってきるあらゆる想念を破壊すること、 そして、ごく日常の自分のあり方を変えていくのだそうです。

(このあたりは、前回書けないと言っていた部分を少し書いてしまいました)

感情を楽しませることがない毎日の、本当の楽しさ、 そんな世界が待っているのでしょう。

さて、次回は、「否定されるヨガや気功」です。

44. 否定されるヨガや気功

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