否定されるヨガや気功
真我探求の道、悟りへの道には、 気功・ヨガなどの取り組みは否定されてしまう という話。
それは一体なぜなのか?
これまで散々、意識を集中させることを訓練してきたというのに、 それのどこが間違っているというのでしょう。
っていうか、インドの聖者はみんなヨガやってんじゃ なかったのか?みたいな。
ラマナ・マハルシがいうには
「ヨガなどの鍛錬は[自我]の力によるものだ。 そういった取り組みは[自分がやっている] という認識をどんどん強化していく。
つまり、自分と対象物が別々なものという認識を 強化していく。
これと真我探求は相容れない道なのだ」
とのこと。
なるほどねぇ。
実際には、日常でのすべての行為が
「自分がこれこれをやっている」
という認識の下で行われていますね。
特に仕事なんかその最たるものでしょうか。
考えてみれば、子供の頃から受けてきた教育も すべて、自我を強くしていくものだったのかも しれません。
他者と競争すること、他者と比べられること 勝つこと、負けること、非難すること、されること、 そして判断することすべてが、悟りの道から遠ざかる 行為だったのですね。
でも、日常生活の中にも、自分がやっているという 認識なしで体が働いている瞬間はあるのですね。
そのあたり、また次回に。