自分も登場人物の一人にすぎない

ラメッシ・バルセカールによると、 全てが神の意志であると心底受け入れる ことと、自分が誰なのかを本質的に問うことは 同義なんだとか。

自分には選択肢が一つしかなく、何かに導かれる ように生きていくこと。

その先に「自分とそれ以外のもの」を区別しない 世界が待っているのですね。

自分とは誰なのか?をいつも問いかける のに比べると、自分の選択の自由が実はない ということを認識として深めていくほうが 簡単に取り組めるのではないでしょうか。

でも、全部の行為・思考をやめたときに 感じるもの。

http://2nirvana.blog.fc2.com/blog-entry-156.html

どうですか?最高じゃないですか?

そしてたんたんと生きていく先に、認識の飛躍という 幸運がえられれば、悟りにいたるといいます。

ここまできて

「幸運?」

と思われるのも無理はありません。

でもこの幸運は、この人生で悟りを得られるの かどうかは神のみぞ知る、いう意味。

どんなに賢明な取り組みをしても、今回の人生で最後の境地 に至れるかどうかはわからないことを意味しています。

ただ、

「悟りってなんだ?」

「自分って何者?」

と真剣に思うなら、あなたの魂の修業は結構 いいところまで進んでいるのかもしれません。

さて、人間性を一気に変えてしまう方法として

「悟る」

という方法論を解説してきました。

でもじつは、なんと、本当に申し訳ないのですが、 悟っても人間性は変わらないのかもしれません。

つづき、また次回に。

49. 悟ったあとの世界

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