選択肢はないという認識

人はとても複雑にできているだけで、 まったく同じ条件、状況下では、 一つしか選択肢がないのかもしれない

という話をしました。

つづきです。

この考え方には違和感を感じる人も多い事でしょう。

それって運命論じゃん、みたいな。

でもここは、結論はどうあれ、よく考えてみる 価値のある命題です。

そして、緻密に考えれば考えるほど、 そうかもしれないと思えてくる人が多く なるのではないでしょうか。

選択肢がいくつもあると思える人には、 人への外からの影響がいつどんな形でもたらされるか が偶然の産物だからと考えるひとも少なくない かもしれませんね。

でも、人が判断を下すとき、全部の条件を加味した 上なされます。

その時点での状況は一つです。

それに対して迷ったあげく出した答え、 あるいは答を保留するという選択、それは一つしかない というのがラメッシ・バルセカールの主張です。

さて、この考え方が正しいと仮定して、 毎日自分のその日の決断が、他の選択肢がなく 必然的な選択だったと確認すること。

それを継続することで芽生える認識。

それは

「自分が単に生かされている存在」

という認識です。

どんな出来事も必然的に起き、それに対して 自分はその出来事を目撃するのみ。

出来事にたいする行動も必然的に起きていきます。

このことを宗教人はこう言っています。

「すべては神の思し召し」

つづき、また次回に

48. 自分も登場人物の一人にすぎない

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